断捨離

2018/04/22

人生-無駄=有意義な人生

無駄を削れば価値あるものだけが残る

人生を有意義に過ごしたいならば、いかに自分にとっての無駄を削るかを考える事が大切である。僕達はやりたいことは誰かに言われなくても、放っておいてもやる。それこそ金も時間も惜しまずにね。金も時間も有限である。それらを惜しまず使う為には、無駄を削るしかない。

我々には制約がある

見も蓋もない話をすると、我々の人生においての大きな制約と言えば、金と時間である。金がないと、たとえやりたいことがあってもできない。そしてたとえ金があっても時間がないと、これまたやりたいことはできないのである。非常にシンプルである。

 僕はお金と時間に関して自分で言うのもなんだけれど、結構シビアな方である。プライベートにおいて、金と時間を使いたくないと思ったら一円たりとも出したくないと思うし、無駄だと思ったら一秒も浪費したくないと考えている。

 僕は千葉県の田舎の方の出身なんだけれど、あの田舎独特の村文化や変な地元意識が昔から大嫌いだった。正直反吐が出ると言っても言い過ぎではないと思っている。だから誘われても一度も同窓会に出席したことはないし、これからも出席するつもりもない。僕にとっては同窓会に参加する為の金も時間も無駄であり、一円も一秒も無駄に使いたくないのである。断わっておくが、僕は地元の人全員が嫌いなのではない。わざわざ大して仲が良かったわけでもない相手も含めて、大勢で再会する必要はないと思うだけである。会いたい人がいたら個別に連絡をとって会えば良いのである。

 また僕は職場の飲み会は一次会には参加しても、二次会は参加しないようにしている。理由は上記と同じで金と時間の無駄だと思っているからである。ちなみに一次会も参加したくないと考えているが、一次会まではある種の仕事で、参加しないと今後の仕事がやりにくくなるリスクを孕んでいるから必要経費だと割り切り、参加するようにしている。僕は飲み会に参加しない人に対して態度を変える人を、本当のプロフェッショナルではないと思っているけれど、案外そういう人は多いものである。日本の村文化は根が深い。

 僕は旅行を数少ない趣味の一つとしている。旅行には金がかかる。だから金食い虫の車やマイホームは出来れば今後も買いたくないと思っている。車がないと行けない場所もあるんだけれど、そもそも金がないと旅行自体ができないし、旅行に行けたとしても本当の意味で楽しめないのである。結婚して子供ができたら、車は割り切って買わないといけないとは思っているけれど、燃費が良いもので、絶対一台までしか買うつもりはない。

 僕たちは金と時間の制約を背負って生きている。その制約を軽くして有意義に過ごそうと思ったら、徹底的に無駄を省く必要があるのである。それこそ自分が許容できる範囲であれば、たとえ誰かに嫌われても。なぜなら僕達の人生は、自分自身の為にあるのだから。




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2018/01/07

アンチ・ミニマリズム

 僕はシンプルに生きたいと常々思っている。しかし僕はある程度の断捨離はするけれど、ミニマリストではない。僕はいろんな意味で無駄遣いはしたくないと思っている。お金も時間も労力も。しかし同時に、そこまで度を越えて何かを捨てようとは思わない。なぜなら過剰な断捨離は本当の意味での幸福度を下げてしまうと思うからだ。本記事は行き過ぎたミニマリズムへ警鐘を鳴らしたいと思い書かせていただいた。

 タッパーは茶碗や味噌汁碗の代わりにはならない

 僕はご飯や味噌汁を食べる時、茶碗やお椀の代わりにタッパーで食べたいとは絶対に思わない。ご飯は茶碗に盛られていた方が絶対美味しいと感じる事だろう。お気に入りの茶碗なら尚のことである。お味噌汁も同じである。 料理は料理自体の質が大切だが、見た目も大切である。美味しい食事は人生の楽しみの一つだ。それを自分から放棄するなんてもってのほかである。

 確かにノマドワーカーの様に常に移動を繰り返しているならば、タッパーの方が軽量で使い勝手が良いだろう。だが大多数の人はノマドでない(おそらくTwitterや自分のブログなんかで、ミニマリズムを推奨している人の大多数はノマドではないだろう。)移動が日課になっている人以外が、タッパーを食器の代用に使うメリットってはたしてあるのだろうか?行き過ぎたミニマリズムは人生の幸福まで削るのではなかろうか。

 今の時代自宅で髪を切るなんてナンセンス

 散髪代をケチって、自宅で髪を切りたいとも僕は思わない。因みに僕は髪型にこだわる人間ではない。コスパを考えて外で切った方が良いと判断し、言っているのである。昨今の美容室の数はコンビニよりも多いと言われている。まさしく供給過多のレッドオーシャンであり、生き残りをかけてサービスをどこも向上させている。また価格帯は1000円からある。僕は1000円カットを使っていないが、高くない値段でそこそこのヘアスタイルを手に入れる事ができている。

 当然髪を切った後、自分で掃除する手間も外で散髪すれば不要である。 考えても見て欲しい。家族に散髪をお願いし、散髪後にその為だけに掃除をする。散髪と掃除で時間にして1時間程度はかかる。それも二人に対して1時間である。トータルで1時間×2人の2時間も浪費しているのである。ここで労働の対価を時給換算にしても考えてみよう。仮に二人が正社員の労働者だとすると、二人分の時給の合計は年齢や職種、住んでいる地域にも寄るだろうけれど、3000円位にはなる。これだけあれば外で髪を切れる筈である。しかもより短時間、少ない手間で。また、おそらく素人が切るよりもうまく髪を切ってくれることだろう。つまり総合的に考えれば、自宅で髪を切る選択肢なんてないのである。行き過ぎたミニマリズムを提唱されている方はその辺の事を考えているのだろうか?

自分の頭でよく考えて決めよう

 確かに余分なモノを持たない、変な見栄を張らないで生きる、シガラミの少ない人間関係を築くなど、ミニマリズムの考え方には賛同する部分も多い。実際僕もその点では強く賛同している。しかしながら、行き過ぎた断捨離は本当の意味での幸福度を下げる結果になると僕は考える。もし皆様が断捨離をするならば、誰かが言っている事を鵜呑みにするのではなく、自分の頭でよく考えてから判断してほしいと思う。



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2017/12/17

不要なつながりも断捨離

 友達100人できるかな?

 どこかで聞いた事があるフレーズである。この「友達100人〜」というフレーズは友達、つながりは多ければ多いほど良いという前提から生まれたものだと思う。しかし僕は、この前提はそもそも間違いだと思っている。

 皆様にも何人かいるのではないだろうか?別に仲良くはないけど取り敢えず会えば喋る知人、或いは今後のことを考えて関わるようにはなったけど、結局は長いこと知合いの域を脱していない知人とか。断言できるが、これらの人が何人いようと僕達の人生は豊かにならない。

 上記の理由は簡単である。大して親しい間柄ではないただの知人との交際費(ここでの交際費はお金だけではない。時間や労力などのその他の要素も含まれる。念のため)と関係を維持することで得られる効用を比べると明らかに前者の方が大きいからである。 上っ面の付き合いを続けても経済的な利益は得られないし、人生においての新たな発見もない。只々時間とお金を浪費し、挙げ句の果てに気疲れまでする羽目になるのである。

 僕は関わる人を絞り、空いた時間に自己研鑽したり、大切な人と限られた時間を過ごしたりした方がずっと人生有意義だと考えている。

断捨離はモノに限らない

 断捨離はモノだけに必要なのではなく、人やつながりにも必要である。僕達に与えられた時間は1日に24時間しかない。僕達はお金を稼ぐために仕事もしないといけないし、疲れを取るために眠らないといけない。そんな状況でただの知人と大して有意義じゃない時間を過ごすのは、時間というとても貴重な資源の無駄遣いである。

 僕は毎年の年末に携帯のアドレス帳を整理している。名前から顔が思い浮かばない人や明らかに不要だと判断した人、面倒事に巻き込んできそうな人は迷わず削除している。そして僕は登録していない番号からの電話には一切出ない。留守電を入れているし、大事な用事があれば相手がメッセージを残すだろうから全く問題ない。

 もし人生を有意義に過ごしたいならば、皆様も一度自分の交友関係を見直してみてはいかがだろうか?限られた時間を有意義に過ごすにはモノだけでなく、ドライだと思うかもしれないが、人やつながりも断捨離する必要があるのではないだろうか?

非学歴エリート
安井元康
飛鳥新社
2014-05-16



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2017/11/19

モノに囲まれてても幸せにはなれない

モノに囲まれてても幸せにはなれない

 僕達の生活に過剰なモノはいらない。最近シンプルライフやミニマリズムなんて言葉がブームだけれど、僕個人としては、これは度が過ぎなければ正しい考え方だと思う。まぁそもそも僕はミニマリズムほどの断捨離はできなさそうだけれど。

 僕は20代半ばくらいまで、大学時代に経済学を学んでいたこともありモノは多ければ多いほど良い。我々はモノの多さによって幸せを感じることが出来ると思っていた。だから今持っている2~3倍くらいの服を20代半ばの頃は持っていた。今じゃ考えられない派手な服とかもあったな。後はマンガとかも結構持っていたかな。いらなくなっても処分していなかったから部屋はモノで溢れていたと振り返っている。

 でもちっとも幸せじゃなかったな。使っていないもので溢れているから部屋は狭いし、モノが多いから片づけても部屋の中がすぐ散らかるしね。それに服は結構持っているのに中々コーディネートが決まらないのもストレスだった。週2日しか自由な服装で出かけないんだから色々なコーディネートを楽しみたいと当時は思っていた。

 20代半ばのある日、偶然シンプルライフって言葉を知ってちょっと真似てみた。要らない服を売ったり、捨てたり、漫画本やもう読まなくなった本は古本屋に売り払って処分してみた。

 そうしたら部屋の中がすごくすっきりした。片づける手間も以前より大分減った。要らない服を処分したことで必然的にシンプルな服だけが残り、コーディネートもすぐ決まるようになった。(以来僕のコーディネートはシンプル&ベーシック。なんでオシャレな人からしたらつまらないかもしれないけれど。

僕は一度シンプルライフに目覚めてからは、モノが増え過ぎたと思ったら定期的に処分するようにしている。僕が持っている小さい本棚の中の本が一杯になってきたら持っている本の中から要らないものを選んで古本屋に売って処分し、着古してしまった服は思い切って捨てるか、売るかして処分している。

もし、皆様の中で部屋が狭いな、すぐ散らかるなと思ったらそれはモノが多すぎるせいかもしれませんよ?その服これからも着ますか?その漫画もうとっくに卒業しているんじゃないですか?




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2017/10/08

自分の時間は自分で作る

自分の時間が欲しい

 多かれ少なかれ、誰もが一度は思うことだと思う。僕もその一人だ。僕達は週に5日朝から晩まで会社で働く。残業があればアフター5なんてものは存在せず、退勤後家にそのまま帰って飯食って、風呂に入って寝るだけである。

 上記を読むと解決策なんてないように思うけれど、僕たちには気づかないうちにダラダラしている時間があったりするものである。僕はこのダラダラしている時間を否定する気はない。ある程度は必要だと思っているし、僕自身も何もしないでだらーっとする時間が好きだったりするからである。

 ただし、ぼーっとして何もしない、何も生まない時間が多すぎるのは考え物だと思うのもまた事実である。ここまで読んでいただいている方はお気づきかもしれないけれど、僕が考える自分の時間の捻出方法は、無駄な部分を削る、引き算的な考え方に基づいている。

 皆様は家に帰ってご飯を食べて、風呂に入った後何をしているだろうか?もし大して面白いと思っていないテレビ番組をぼーっと見ている時間があるならば、それは削った方が良いと僕は強く思う。というのも大して面白くない番組ならば見ても何も効用を得られないし、下手をすれば僕たちの睡眠時間を削るだけでは足りず、翌日の仕事の効率を低下させ、ますます僕たちの貴重な時間を削ってしまう恐れがあるからである。

 また、過剰な人付き合いも自分の時間の妨げ要因になると僕は考えている。我々の余暇に使える時間は有限で貴重なのだから、付き合う人は絞るべきだと僕は思う。人のペースに常に合わせて生活していたら身体や心は休まらないし、自分や自分の大切な人の為に使う時間もなくなってしまうのである

 こういう書き方をすると語弊があるかもしれないけれど、付き合っていても無駄だなと思う相手はバッサリ切るのも一つの方法である。付き合っていても楽しくもないし、有益でもないんだったらそうじゃないだろうか?その時間を自分や自分の大切な人の為に使った方がよっぽど生産的だと僕は思う

 自分の時間はとても貴重だ。そして自分の時間を作るにはただ悩んでいても解決にはならず、選択することが必要である。つまり捨てるという選択が必要なのである。そう、自分の時間を作るには無駄を引き算する必要があるのである。そして無駄を削っていけばそれなりの時間を捻出することが出来るのである。




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