Opinion

2018/11/04

学校嫌いなんて気にする必要なんてない

 僕は学生時代(主に小学校から高校まで)まで学校が嫌いだった。正直本当に楽しいと思ったことなんて一度もなかったのではないだろうか?その一方で今はそこそこ楽しんで生活できている。

 小学校から中学校までの僕は、何かと理由を作って欠席していた。頭が痛いとか、熱があるとか言ってね。不登校と言われるレベルではなかったけれど、サボりマンだったことは間違いないだろう。だってテレビゲームの方がやりたかったんだもん。

 高校生の時は家から学校までの通り道に映画館があったので、朝家を出て、適当なところで時間を潰して、映画を観てから登校するなんて日常茶飯事だった。だって学校の授業よりそっちの方が楽しかったからね。

 そんな話をすると、僕が学校でいじめられていたとか、学校の授業について行けなかったとか思う人もいるかもしれない。けれど、僕はいじめられていなかったし、勉強はそこそこできる方だった。単純に僕は学校生活が好きじゃなかっただけだ。

 何故好きじゃなかったのか?僕はあのみんな同じ、人と違うことをしたら顰蹙を買う同調圧力、村文化に若いながらウンザリしていたのである。だからサラリーマン生活も好きではない。(給料を貰っているわけだから、学生時代のようにサボったりしないけれど。)

 でも大学に進み、アメリカ留学を経験したら視点が変わった。留学中、個人主義的な思想で生きていても問題ないんだということを初めて肌で感じることができた。

 別に僕は海外かぶれとかではない。現に僕は日本で生活することを選んでいる。日本のご飯の方がおいしい、良いサービスを受けられる等優れているところが多いのを僕は知っているからだ。

 僕はこの記事で視野を広げる為に海外に飛び出せとか、適当なことを言いたいのではない。小学校から高校までのような閉鎖的な世界に嫌気がさしても、人生捨てたものではないと言っているのだ

 現に今年32のオジさんの僕は、仕事は正直好きではないけれど、学生時代より人生を楽しんでいる。何故なら社会人の方が付き合う人を能動的に選べるからだ。

 会社や取引先の人とは仕事以外では付き合う必要はない。完全に断ち切るのは難しいけれど、避けることはできるだろう。

 そして学生時代の友人は社会人になれば切ろうと思えば簡単に切ることができる。何度か誘いを断れば向こうから切ってくれるだろう。

 でも不思議と古い関係を断ち切ると新しい出会いがあったりするのである。そして新しく出会いでは、学生時代のようなウェットな付き合いはしなくて良いからかえって楽である。そんな生活ならば学生生活より楽しいだろう?



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2018/10/28

常勝なんて必要ない

 もしあなたが楽に生きたい、経済的独立を手に入れたいと思うならば、常に勝ちを取りに行く、常勝を目指すのをやめるべきだ。常勝を目指すと途端に人生がきつくなるからだ。

 例えば、サラリーマンをしていれば誰でも見たことがあるだろうけれど、同僚間で身につけているモノの高価さを競っている人がいるだろう。この競争に勝つ必要性は皆無である。

 何十万もする時計、高価な車、財布や鞄、スーツなど競い合うと間違いなく手元に現金が残らない。また残念ながら、人はそこまで誰かが身に着けているモノに興味はないのである。

 加えて残念なことがある。残念ながらそれらはキャッシュインフローをもたらさないのである。つまり、それらはただの負債なのである。

 クレジットカードで分割購入すれば金利を取られるし、モノが多くなりすぎれば場所も取る。車について言えば、持っているだけで「やれ保険料だ、駐車場代だ、ガソリン代だ、税金だ」と金が外に出ていく負債以外の何物でもないだろう。高価なモノも、そうでないモノと同じく、マイナスの資産になり得るのである。

 僕は、自分が身に着けるモノに対して、品質がある程度の水準で、デザインがそこそこ悪くなく、且つ値段が妥当ならば、ブランド品はいらないと考えている。

 車を僕は現在は持っていないけれど、買うとしたら中古車で購入金額を抑えて、かつ燃費の良い車を選ぶだろう。つまりコスパ重視である。僕は車に対して興味がないので、コスパに加えて、移動手段の用途を満たせれば何でも良いのである。

 また、サラリーマンをやっていると残業時間を競う人がいるけれど、そんな競争に勝つ必要性も皆無である。むしろ、そんなことで勝って喜んでいたら、自分は非効率に働いていると自ら吹聴している事になるだろう。

 時間は最も貴重な資源だ。時間を切り売りしている時点で、その人の人生は貧しい事になるだろう。仕事が趣味、生き甲斐ならば別だけれど。多くの人はそうではないだろう。

 勿論僕はプライドをすべて捨てて、負け続けろと言っているのではない。自分にとって本質的な利益にならない競争で、勝ちを狙いに行く必要はないと言っているのである。僕は楽に生きたいし、浮いたお金で他の人より早く引退したいと思う。


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2018/10/21

副業禁止とか最早時代遅れだろ

 昨今は空前の副業ブームである。しかし一方で、多くの会社で、副業禁止を就業規則で定めている。僕はこれを時代遅れだと思っている。だって会社がずっと面倒を見てくれる時代は終わったんだから。

そもそも就業時間以外に口を出すこと自体ナンセンス

 確かに就業時間外に法に触れる事をやったり、会社の品位を下げる事をやったり、会社の不利益を与えるような事をやっていたら、それは問題だろう。

 また就業時間内に副業をやられるのも、雇主からしたら困るだろう。だってお金を払っているのに自分のところに利益をもたらさないんだから。

 でも、僕が言っているのはそういう事ではない。就業時間外にビジネスをやるのであれば、ガタガタ言うなと言っているのである。本来就業時間外は自由時間のハズである。

 また、本業に影響が出るとは言うけれど、その根拠もハッキリ言って皆無である。要はやり方次第ではないだろうか?

 むしろ、次の日も仕事があるのに、連日深夜まで飲み歩いている人のほうが問題なのではないか?本題から外れるけれど。アルコール摂取は睡眠を浅くし、次の日の生産性を著しく下げる効果があるのに異論を唱える人は誰もいないだろう。それは野放しして副業には目くじらを立てるのに合理性は皆無だろう。

 ところで、僕は思うんだけれど、もし副業により従業員がスキルアップしたら、むしろ雇主からしたらプラスなのではないだろうか?自分で事業をやるとなると非常に多くの事を考える必要がある。

 例えば、そもそもどんな商品やサービスを提供するか、どうやってマーケティングするか、運転資金をどうやって資金調達はどうするか、流通経路はどうするか、価格設定はどうするか、幸運にも売上がでたら、会計処理や税務処理はどうするかなど考える事はてんこ盛りである。

 もし、これらのすべて経験している人材を雇えるんだったら、雇主としては間違いなく嬉しいのではないだろうか?

 以上の理由から、雇用主にとっては良い人材確保にもつながると同時に、従業員を今より経済的により豊かにすることができる副業は許されて然るべきだと僕は考える。



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2018/10/14

体育会系重視って時代錯誤じゃない?

 僕は就職活動をしている時からこの多様化、変化の時代に体育会系をもてはやすなんて、時代遅れも甚だしいと思っていた。その考えは30を過ぎた今でも変わっていない。

体育会に所属していた人は体力がある。それは認めよう。おそらく連日の残業も彼らなら体力でカバーできることだろう。(僕はさっさと帰りたいけれど。)

また、体育会は縦社会だ。上下関係の中で生きてきた彼らなら、上司、先輩の指示には忠実に従う事だろう。きっと彼らは目上の人に言われた通り仕事をすることだろう。そう昨日までと同じように。

サラリーマンは本来、同じ仕事をやるんだったらいかに効率的に仕事をして、作業時間を短縮するかを評価されるハズだ。その方が残業代を支払わなくても良いし、より多くの仕事を振れるからね。なのに、多くの会社ではどうやら違うようである。とにかく従順に言われたことをやるのが評価されるらしい。たとえ非効率な方法で、時間がかかったとしても。

自衛隊や警察、消防など、やることが明確で、行う仕事も基本毎日同じという職業ならば、体育会出身の人は大活躍することだろう。体力があるし、上の人の言いつけ通り仕事をするのだろうから、管理職も指揮監督するのも容易だろう。断わっておくけれど僕らは彼らの仕事をディスっているのではない。思ったままに書いているだけだ。

勿論、自衛隊や警察、消防も日夜新しいことに遭遇することだろうけれど。行う事業は通常の事業会社より単純明快だろう。僕たちが安心して生活出来ているのは、彼らが毎日愚直に、一定水準を維持して仕事をしてくれているからだろう。

ところが、現在は多様化、変化の時代である。多くの事業会社は昨日と同じことをしていても生き残れないのである。これは事務系公務員とかにももしかしたら当てはまるのかもしれないけれど。

技術革新も目まぐるしく起こっている。今までなかった商品やサービスが現在どんどん生まれてくる。そしてこれは今後ずっと続くだろう。

そして同時に、今まであったサービスが無価値になることもこれからは頻繁に起こる事だろう。 

新しい商品やサービスは昨日と同じことをやっていても生まれない。もし企業の採用担当の方が見ていてくれたら是非考えていただきたい。これからの時代は、体力があって従順な人材だけでなく、より多様な考え、価値観を持った人材を確保する必要があるのではないだろうか。

 




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2018/07/15

学校の先生が言ってたことなんて気にする必要はない

 タイトルの通り学校の先生が言ってた価値観、人生観なんて全く聞き入れる必要はない。理由は彼らが学校という狭い世界しか知らない、歪な環境で生活している人種だからだ。


 考えても見て欲しい。彼らは学校という閉鎖社会しか経験していないのである。学校の先生になるには学校を卒業する必要がある。学校を卒業して、学校に就職する。同僚も同じような境遇の人が多数である。彼らの知っている世界は学校の世界だけなのである。


 彼らは多様性を良しとしない。イメージして欲しい。自分が属しているグループに変わり者、アウトライアーズがいたらそのチームのまとまりは悪くなるだろう。それは学校でのクラス運営においても同じなのである。そもそも狭い世界でしか生活したことがない人種に多様性なんて理解できないのである。


ところが、会社においてはその変わり者やアウトライアーズが結果的に利益を生むことがあるので、会社はそれを許容するだろう。実際に組織に変革をもたらすのはそういった人種である。だから彼らをクビにはしないし、過剰な同調圧力を(公には)かけない。もっとも、あまりにも仕事ができない、やらない場合は物凄く厳しい仕打ちを受けることになるけれど。


 一方、学校のクラスで問題がある生徒をクビにはできない。が、同調圧力をかけ、従わなければ村八分(無視)するよう、学校の先生が周りの生徒に仕向けることはあり得る。直接的な表現をせず、上手い具合に。子どもを誘導するのなんてかんたんでしょう?まぁ手がかかるからね。変わり者は。


 クラス運営においてみんな同じ(考え方が共産主義みたいで気持ち悪い)が彼ら教師のモットーである。 なぜなら管理が簡単だから。


そして、教師は教師の人間性を読み取ってしまう精神年齢が高い生徒は接するのに気を使うから嫌う。また、勉強があまりにもできる生徒も嫌う。なぜなら彼ら教師より勉強ができてしまうと、間違いを指摘されてしまう恐れがあるからである。


 また、狭い世界しか見てこなかった人は才能がある人をそもそも理解できない。そして理解できないから怖がる。彼ら教師は才能がある人も結果的に嫌うことになる。



そして、勉強があまりにできない生徒も個別に対応しなければいけない面倒があるので嫌う。あと団体行動ができない生徒も嫌うな。慣例的にある行事に積極的に参加しない生徒(僕みたいな)ってどこにでもいるじゃないですか?


 彼らの思考回路は共産主義そのものなので、良い意味でも悪い意味でもアウトライアーを嫌うのである。みんな同じが素晴らしいのである。


思いつく限り教師の悪口を書いてみたが、概ね当たっていると思う。何が言いたいかと言うと、学生生活のまさに延長の人生、本当にどうしようもなく狭い世界でしか生きてこなかった教師の薄っぺらな考察、批判なんて聞く価値も、気にする価値もない。もしあなたがそんな取るに足らない事で悩んでいるなら、馬鹿馬鹿しいからやめなさいって事である。そんな事に自分のリソースを割くくらいなら、自分の好きな事をやってた方が幸せですから。





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