ライフスタイル

2018/07/01

年収が上がっても生活水準を一定に保つ

 僕の将来の夢は、アーリーリタイアして世界中を旅行することである。その為には金がいる。そしてとても大事な事だけれど、アーリーリタイア後も継続して収入源を確保する必要がある。貯金を取り崩しながら生活するのは精神衛生上良くないからである。

 僕が考える将来に収入源を確保する方法は、資産運用である。資産運用には種銭がいる。 種銭を確保するには月々の収支を必ずプラスにする必要があるのであるが、案外これが難しい。ついつい使いすぎたりしてしまうしね。自分への投資だとか言い訳を作って。

 さて、ここで月々の余った分を投資資金の種銭に充てるという考えは絶対に持ってはいけないと断言できる。何故ならそれは強い苦痛を伴うからだ。貯金と同じでこれは難しいのである。我慢が目に見えてしまうから。

 僕が考える月々の収支を常にプラスに保つ方法は、月々にいくら資産運用に充当するか予め決めてしまうである。最初から家賃などと同様に、生活費の固定費用としてカウントしてしまうのである。仮にそれ以外に余った金を全て使ってしまったとしても、収支は常にプラスになるという寸法である。

 加えて、定期昇給などの収入の増加に併せて、資産運用に充当する金額も徐々に増やすのが理想形である。徐々に種銭を増やすことでアーリーリタイアまで要する期間を短縮させる事ができるのである。

 また、上記を実践する事で、生活水準を一定に保つことができる。僕達はたとえ収入が上がっても、それに合わせて生活様式を変える必要はないのである。

 ところで、生活水準を一定に保つ事には、たとえ収入が下がったとしても精神的苦痛を軽減する事ができるという、副次的な効果があるのである。 年収500万の人、Aさんが年収300万の人と同じ生活をしていたとする。ある日突然、Aさんの年収が本当に300万まで下がってしまったとしてもいきなり生活が破綻することはないだろう。勿論実際にそれが起こったら悲しいだろうけれども。

 僕はアーリーリタイアするまでの過程でも、精神的苦痛を軽減し、幸福度の高い生活を送りたいと思っている。将来の為、という漠然とした目標の為だけに、高い収入だからという理由だけで仕事を続けるのは不幸である。(僕は高給取りではないけれど。)

 ところで、上記Aさんが今やっている仕事が嫌で嫌でしょうがなかったとしよう。Aさんは収入の割にかなり質素な生活をしているので、仕事を選択する際に、多少年収が下がることがわかっていたとしても躊躇なく決断できるだろう。だって生活水準は変わらないからである。

 もし僕達が転職を考えたり、フリーランスになりたいと考えたりした時、転職や独立の前後で、生活水準が一定に保つことができるのであれば、少ない苦痛で決断する事ができるだろう。上記のAさんのように生活水準をある程度セーブしているのであればそれは可能かもしれない。まぁ僕は旅行くらいしか趣味がないので普段の生活はかなり質素なほうなんだけれどね。この考えはアーリーリタイヤにもつながる考えだと思う。

 話がそれてしまったが、アーリーリタイヤ後には収入源が必要だから資産運用しておく必要がある。アーリーリタイヤ後は派手な生活はしないことになるだろうから(そもそも散財している人がアーリーリタイヤできるとは到底思えないけれど)、生活水準も馬鹿みたいに上げるのは避けた方が良いだろうってことで締めておく。

 





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2018/06/17

戦略的ダウンシフト

この世界においては、サラリーマンのままでは満たされない

 僕たちはサラリーマンのままでは満たされることはできない。たとえ高給取りと言われらようになってもである。なぜなら、たとえ高給取りになったとしても、更に上には上がいて自分が一番になる事は永遠にないからである。また、こちらの方が深刻だろうけれど、たとえ高給取りになってもその金を、時間を要する用途に使うのはサラリーマンのままでは難しいだろう。

サラリーマンとしての成功って散在する事?

 もしあなたが高給取りのサラリーマンになったならば、ブランド品で身を包むこともできるだろう。高級車を乗り回すことも可能だろう。でもそれらは本当に欲しいものなんだろうか?確かにブランド品や高級車で他者への承認欲求を満たすことはできるかもしれない。でも、もし誰かが自分より良いものを持っていたら?

 また、仕事でスーツを着る人が多いだろうけれど、スーツの値段は年収に比例してが高くなりがちである。安っぽいスーツだと格好がつかないとか言ってね。でも僕はたかが仕事着に何十万も価値があるなんて、到底思えないのである。

視点を変えて解決策を考える

 上記を踏まえて、どうせ満たされないなら、自分を満たすために他の方法を模索したらどうだろうか?その方が現実的ではなかろうか? という何ともぼやけた考えが浮かんでこないだろうか?

 僕自身は高給取りじゃないので、上記はもしかしたらただの負け犬の遠吠えに聞こえるかもしれない。また、お金を僕より沢山持っている人に対して妬みが全くないかと言われたら嘘になる。ただ僕としてはブランド品で身を包んでも、高級車を乗り回しても満たされないのを自分でわかっている。僕はモノより自由が欲しいのである。

 僕が今欲しいものは上司の顔色を伺うための仕事を一切やらなくても良い職場環境と好きな時に、好きなところへ旅行に行けるだけの金と時間である。ブランド品や高級車も、アホみたいに高いスーツも要らないのである。自己を誇示することで満たされる必要はない。少なくともどうでも良い相手には。

 僕は服に拘りはないので、すべてファストファッションやネットで購入したモノで満足できる。実際昨今は全身ファストフッションでもそれなりのコーディネートができる良い時代である。また、靴、財布、カバン、時計などの小物も2、3万くらい出せば質が良くてオシャレなものが手に入るので、僕はそれ以上出す気にはならないのである。

 僕はサラリーマンをやらなくても生活できるのならば、サラリーマンなんてやりたくないと思っている。幸いなことに年収は徐々に上がっている。ここで他人からの雑音に惑わされず、今のライフスタイルを貫き続ければ、セミリタイヤ後の資金を貯めることができる。早く本当の意味で満たされたいものである。



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2018/05/27

他人の評価なんて無視

自分で見極める

 僕たちは物事を見る時、前評判によって勝手なイメージを作り踊らされがちだ。例えば、会社だと人事異動の際に新しく配属されてくる○○さんはこういう人という前情報、前評判どこかから入ってくる。そして僕達は勝手にその人の人物像を作ってしまうのである。売れ筋商品とかもこれの良い例だろう。

人の評価は所詮人の評価

 僕はあまり事前に入ってくる前情報、前評判は当てにならないと考えている。昨年異動で入ってきた僕の上司の前評判は、決して高いものではなかった。しかし実際一緒に仕事をして感じたのは決してそんなことはなく、寧ろ僕が持った感想はその逆だった。逆に3年前に一緒に仕事をさせていただいて、既に異動してしまった上司の前評判は物凄く高かったけれど、僕が抱いた感想は寧ろ逆だった。これくらいの人だったら履いて捨てるほどいるだろうな、と思ったのが僕の感想である。(自分の事を棚に上げて物を申して恐縮であるが。)

 別にこれは人の評価だけの話ではない。モノやサービスを含めたすべての事に対して言えることである。僕はサラリーマンをやっている傍ら、個人投資家としての顔も持っているんだけれど、世間で言われているおススメ銘柄、投資対象程当てにならないものはないと考えている。むしろ世間で脚光を浴びだしたら、もうその銘柄、投資対象は売り時、改めて投資する対象ではないと判断しているくらいである。

 3年前に一緒に仕事をさせていただいた上司の話に戻そう。その方の前評判はすごくよかった。顔はイケメン、仕事はスタイリッシュというのが彼の前評判であった。確かに顔はイケメンだった。しかし嫌な仕事、泥臭い仕事は何かと理由をつけて逃げ出し、見た目は良いけれど中身は空っぽな資料を作ったりする人で、決して仕事ができるとは僕は思えなかった。まぁ上司に上手く取り繕うのがサラリーマンとして身に着けるべきスキルならば、仕事ができるんだろう。(イケメンだったから僻んでるだけかもしれないけれど)。他人の評価なんて当てにならないことを知ることが出来たのが、彼と仕事をしたことで得た財産である。

 就職先とかもそうである。外からは働きやすい会社だと言われていても、実際入ってみたら陰湿ないじめがあったり、ドロドロした人間関係があったり、公表しているよりもずっと多くの時間外労働を強いられるなんて別に珍しくない。結局は自分で見極める必要があるのである。他人の評価なんてそんなものである。

 僕たちは物事を自分自身で見て、見極める必要がある。そうすれば今よりずっと物事をクリアに見ることが出来る。また同時に、「他人の評価なんてそんなものだ」と吹っ切れることが出来れば、自分の行動にも枷がなくなるのである。



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2018/05/20

自分で勝手にハードルを上げない

挫折するには理由がある

 僕たちは変化を恐れる。だから何か新しいことをやる時、初めて何かをする時、何かと理由をつけてそれらを回避しようとしがちである。それはなぜだろうか?挫折するのを本能的に知っているからである。つまり最初から実現できないと諦めているのである。でもそれだといつまでたっても成長できない。と言うか成長したと実感できない。

ハードルを上げすぎない

 例えば、今あなたは英語学習しようと考えているとしよう。あなたは自分には無理だと思うかもしれない。確かに今まで生きてきた中で英語にそれほど触れてこなかったのならば、中々難しい作業だろう。ネイティブの様に英語を使いこなしたいなど、理想が高ければ尚更である。しかし、目標を英語で外国人の方とコミュニケーションを取れるようになりたい、にしたらどうだろうか?僕の経験則だと簡単ではないけれど不可能な目標ではない。

 あなたは日本語を話す外国人と会話したことがあるだろうか?彼らの多くは我々が話すのと同じように日本語を話せるわけではない。しかし、意思疎通は取ることが出来るだろう。これは僕達にも言えることである。たとえ僕達が英語を完璧に話せなくてもコミュニケーションを取ることは可能なのである。

 他の例も書いてみよう。ダイエットをしたいと思っているとする。男性ならばアスリートのよう筋肉質は身体、女性ならばモデルのような細い身体を理想とするかもしれない。しかしながら、自分の体型がそれらとかけ離れているのならば、実現は不可能ではないけれど難しいだろう。そして我々の多く挫折する。もしくは挫折するのを知っているので初めから挑戦しないだろう。

 しかし、ここで目標を変えたらどうだろうか?例えば男はムキムキだはないけれど、ポッコリお腹ではない、健康的な身体、女性も、モデルのようなガリガリではなく程よく肉付きがあって健康的な身体(実はそっちの方がモテるという事実を多くの女性は知らないように見受けられる)と言った具合に変えてみるのである。これらは実現するのは不可能ではない。暴飲暴食をしない(特に炭水化物を)、適度に運動する事でそれらの体型を手に入れることが出来るだろう。

 この「ハードルを上げすぎない」は非常に大事な考え方である。「継続は力なり」という諺があるけれど、何か大きな事をやるには継続することが必須になる。いきなりハードルを上げすぎず、徐々にハードルをあげるのならば、実現可能な事も同時に徐々に増えていくことだろう。



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2018/05/06

不必要に連まない、何にも依存しない。

 僕は表記のタイトルのような生き方が理想な生き方だと考えている。歳を重ねる度にその思いが強くなるのを自覚している。

ダラダラ連んでいても安全ではない

 学生時代のような狭い社会で生活しているのであれば、コミュニティ、村社会の中で強い力を持っているグループに属せば、少なくとも安全である。立ち回り方さえ間違わなければ。

 例えば田舎の中学校では、腕力で生態ピラミッドが決まるだろう。勢力図の中の上位グループに属すれば、高い確率で安全だろう。自分の属しているコミュニティの輪を乱さなければ。

 しかし中学を卒業したら、そんなものに何の価値もない。なぜなら高校に進学し、付き合う相手、属する社会も変わるからである。同様に高校を卒業した後は、大学進学、専門学校進学、就職と色々別れるだろうけれど、またいずれも環境が変化する。就職した後も、その後転職する事は昨今では珍しくない。

何が言いたいかというと、自分が属する社会、環境は流動的なのだから、誰かと連んでいても安息を得られないという事である。なぜなら上記は連む相手にも当てはまり、相手から我々の元を去っていく事も十分あり得るのである。

誰かと連んでいてもあまり幸福度を上げることに繋がらない

 誰かと連むということは、その誰かのペースに合わせることを意味する。サラリーマンは仕事中、自分のペースで時間を使うのは難しいだろう。そのサラリーマンがプライベートでも誰かに合わせるなんて笑えない冗談である。本当に幸せですか?君はそんなに一人いたら怖いの?と問いてみたい。

何かに依存していては、本当の意味で安定しているとは思えない。

 例えば僕はサラリーマンで、会社に雇われている。言葉を悪くすれば依存していると言えるだろう。僕が明日クビになったら、間違いなく路頭に迷うだろう。残念だけれど。 これを解決するには何が必要だろうか?僕が思う解決策は、最悪クビになっても一定期間生活ができるだけの蓄えといざとなったら自分自身で稼ぐ為に必要なスキルを身につけることである。これらが有れば、むしろ自分から会社を辞めることも可能だろう。またスキルがあれば再就職もしやすいだろう。無いよりは。

 また、会社は僕たちをそこまで守ってはくれない。会社にとって我々サラリーマンはただの駒の一つである。ちょっとくらい優秀だろうと変えはいくらでもいるのである。多分僕が明日会社を辞めても困るのは数日間くらいで、その後は何事もなかったかのように会社は回るだろう。僕達が会社に与える利益及び会社に与えるプラスの影響<僕達を雇っていることでかかる費用(この費用は給料だけではなく、マイナスの影響も含む)の状況になれば、あっさり首を切られるだろう。

 結局は誰かと過度に連んでいても安息を得ることはできないし、何かに依存しすぎても立ち位置は安定はしないのである。この変化の時代だからこそ自分だけで生きていく術を身に着ける必要があるのかもしれない。



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