ライフスタイル

2019/01/13

お待たせ!の段階でファッションチェックは始まっている。

最初に書いておくと、僕自身は全くファッションには興味がない。だけれど、同時にそれなりの身だしなみをしていないと、自分が損することを僕は知っている。身だしなみを整えるとは独創性でオシャレな格好をすることだろうか?僕の答えは明確にNOである。 

僕が考える「それなり」の身だしなみとは相手に不快感を与えない、ダサいと思わせないファッションのことである。僕達が誰かに会う時、別に個性的な服を着る必要もないし、この人すごいオシャレだとか思わせる必要は全くないのである。

だけれど、どの瞬間から人はこの人はダサい、この人はオシャレだと評価しはじめるのだろうか?相手の顔をハッキリと認識できる瞬間だろうか?それとも・・・・?

ところで、休みの日のコーディネートを考える時に、皆様はトップスを先に考えるだろうか?それともボトムスからだろうか?多くの人はトップスから考えがちだ。なぜなら相手の顔を見た時に同時に視界に入るのはトップスだからである。

ところが、この考えは大事な事を見落としているのである。皆様にデートや待ち合わせしている状況をイメージしてほしいんだけれど、僕達の視界に最初に映る相手の姿はどんなだろうか?

答えは簡単で、全体像である。僕達が相手にお持たせ!と言う時も、僕達が相手に言われる時も、最初に視界に映る相手の姿は全体像である。つまり、トップスが視界に入るころには、相手のファッションチェックはもう既に終わっているのである。 

だから、僕は敢えてコーディネートをボトムスから考えるのを提案したい。なぜなら汎用性の高いボトムス選べば、トップスはある程度適当でもそれなりのコーディネートが作れるからである。

僕は週末用のボトムスを黒スキニー、ベージュのスリムチノ、白のスリムチノ、ブルーのスリムデニムで回している。すべてユニクロでOKである。余談だけれどユニクロならば無料で裾上げもしてくれるので、スッキリ着ることが出来る。

上記に共通しているのはすべて細身であることである。また細見に加えて、何も柄が入っていない無地のものを選ぶとなお良いだろう。ボトムスにシンプルかつスッキリしたフォルムを持ってくるとコーディネートが本当に簡単になるからである。

ファッションチェックは、僕達が考えているより早い段階で始まっており、トップスの柄をハッキリ見られる頃には既に終了している。だから全体像を意識してコーディネートを考えないといけないのである。 



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2019/01/06

小中学校の友人関係なんてクソ

 ちょっと前に林修氏がテレビでタイトルの様な事を言っていたのを見た。元ネタはプレジデントの記事らしいけれど、これを見た時物凄く共感したのを記憶している。

 別に僕は小中学校時代いじめられていたわけではないけれど、正直言ってつまらない生活をしていたのを記憶している。

 これからも一緒にいなきゃいけないと無意識に思ってしまい、遠慮して息苦しい人間関係だったと今振り返っても思う。子どもの時の人間関係は同じ学校の友人だけだからね。

 社会人になった後、小中学校時代の友人と会うかというとほぼ皆無である。僕の場合は一対一で会いたいと思うのはたったの2人だけである。同窓会は今後も行くつもりはない。何度か断わっているのでもう呼ばれないだろう。同級生は100人くらいいたにもかかわらずである。正直上記の2人以外に会いたいと思う人はいないし、会う理由もみつからないのである。

 そもそも、小中学時代時代の友人は、同じ年に同じ地域で生まれ育ったというだけのつながりである。同じ学区だから同じ学校に押し込まれているに過ぎない。自分で選んで関係が始まったのではないのである。

 しかしながら、その閉鎖的空間が小中学で9年間続く。僕はその期間は永遠と続くのではないかと子供心に思っていた。みんな同じように感じているから、必然的に同調圧力が生まれて、村社会が構築されるのである。その時は気づかないけれど、そこから出たら、その期間が終わったら2度と付き合う義務はないのに。

 僕の時代は超閉鎖的だったけれど、時代は変わった。今はSNSが発達して自分の生活圏内のコミュニティ外の人とも簡単に出会える様になった。だから未来では、学生生活の立ち振る舞い方が変わってくるだろう。

 僕が考える学生さんの最適戦略は、気が合わない人とは表面上の付き合いにとどめ、気が合う人とだけ深く付き合えば良い。同じ学校に気が合う人がいなければ、現代のテクノロジーを駆使して探せば良いのである。僕の時はそんなことできなかったから羨ましい時代である。今だったら学生に戻っても良いな。


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2018/12/02

お小遣い制なんて時代遅れでしょ?

 今の時代夫婦共働きは普通だ。僕も夫婦共働きである。それならば家賃や光熱費などの共有する部分はお互いにお金を出し合って、後はそれぞれの自由で良いのではないだろうか?

 そもそも、夫婦のお金をどちらか一方が(多くは奥さんが)管理するのは公平性に欠ける。なぜなら僕がそうだからなんだけれど、お金を細かく管理するのは結構たいへんだからである。少なくとも僕は、夜遅くまで働いている妻に僕の財布の管理までやれとは言えない。

財布を3つに分けている。

 我が家は財布を3つに分けている。その1つは共有口座である。家賃、光熱費、水道料金、NHK、インターネットなど共有のコストについてはすべてこの口座で管理している。因みに我が家では毎月これくらいかかるだろうと予測して、予算化して毎月一定の金額をお互いに拠出する方法で管理している。余ったお金に関しては余剰金として備蓄している。

 そして、残りの2つはお互いに管理する財布である。これらについては別にお互いいい大人だし、自分で管理すれば良いだろう。

 僕は自分の財布から、自分のお小遣い、毎月決まった額のインデックスファンドの積立投資、貯金に回している。おそらく奥さんも資産運用はやっていないようだけれど、同じようなもんだろう。

 お金の問題は、夫婦仲が悪くなる原因の1つだ。性格の不一致は、ある意味仕方がないことかもしれないけれど、お金の問題は事前に防げる問題なのだから、事前に対策しておいた方が良いだろう。

今後は?

 最も子供ができたら妻の収入が一定期間減る、もしくは無くなる可能性があるので、これから対策を考えておかないといけないけれど。

 おそらく奥さんが産休、育休中は、家賃や光熱費などの固定費を僕がすべて負担して、今まで自分の小遣い、自分自身の貯金に充てていた部分を減らして、奥さんの小遣いと積立投資への投資資金を捻出する必要があるだろう。

 上記を踏まえるとやっぱり労働の対価としての給与収入って安定しているようで安定していないんだよな。そういう意味で自動的に収入を得られるような仕組み作りが必要だな。誰がサラリーマンは安定しているって言いだしたんだろう?全然安定なんてしてないじゃん。


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2018/11/18

キャッシングポイントを増やす

僕はしがないサラリーマンだ。しかし、将来は組織に依存しない生き方ができればと思って生活している。それには何が必要だろうか?

その答えは簡単である。給与に依存しなくても生きていけるだけの経済力である。これさえあれば会社に依存する必要はない。当たり前の事だけれど、それが難しい。

実際、事業を所有し、そこからの事業所得、加えて自己の資産からインカムゲイン、キャピタルゲインで生活できるのならば、会社にしがみつく必要は皆無だ。極論を言えばニートになることも可能だろう。

僕は会社の帰りにサウザー氏がパーソナリティを務めているサウザーラジオを聴くのが日課になっている。

彼が言っていることはいつも同じだ。そして概ね正しい(彼は否定的だが、僕は投資、資産運用をアーリーリタイヤする前からある程度やっておくべきだと考えているけれど。)取り上げるお題が多様なのは流石だと思う。毎回ついつい聞き入ってしまう。

彼は毎晩サラリーマン辞めたいなら何か商品を持て、ビジネスを持てと説く。さすればニートになれると。彼の生活を聞いているとニートではないような気がしないでもないけれどね。

僕自身はニートになりたいとは思っていない。目指すのは週の4日くらい好きな事をやって残り3日働くような生活だ。週3日ならば楽しく働けるような気がするしね。

4日あればアメリカやヨーロッパなどの遠方への旅行は厳しいけれど、国内やアジア圏、ミクロネシアなどなら十分楽しめるだろう。僕はそんな生活が欲しいのだ。

残りの3日を仕事に使うのは、社会との接点をある程度確保して、一定水準以上の社会性を維持するためだ。金のために働くのではない。僕はコミュ障だから、一定水準以上のコミュ力を維持する努力をする必要があるのである。

サウザー氏が彼のラジオで仰っていた「芸人+α」のような生活が僕の目指すところだ。生活するための収入を自分の事業から稼ぎだし、残りの遊ぶ為の金を労働から得るような生活が僕の理想だ。遊ぶためにお金を稼ぐんだったら、モチベーションを維持しながら働けるだろう。

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2018/10/28

常勝なんて必要ない

 もしあなたが楽に生きたい、経済的独立を手に入れたいと思うならば、常に勝ちを取りに行く、常勝を目指すのをやめるべきだ。常勝を目指すと途端に人生がきつくなるからだ。

 例えば、サラリーマンをしていれば誰でも見たことがあるだろうけれど、同僚間で身につけているモノの高価さを競っている人がいるだろう。この競争に勝つ必要性は皆無である。

 何十万もする時計、高価な車、財布や鞄、スーツなど競い合うと間違いなく手元に現金が残らない。また残念ながら、人はそこまで誰かが身に着けているモノに興味はないのである。

 加えて残念なことがある。残念ながらそれらはキャッシュインフローをもたらさないのである。つまり、それらはただの負債なのである。

 クレジットカードで分割購入すれば金利を取られるし、モノが多くなりすぎれば場所も取る。車について言えば、持っているだけで「やれ保険料だ、駐車場代だ、ガソリン代だ、税金だ」と金が外に出ていく負債以外の何物でもないだろう。高価なモノも、そうでないモノと同じく、マイナスの資産になり得るのである。

 僕は、自分が身に着けるモノに対して、品質がある程度の水準で、デザインがそこそこ悪くなく、且つ値段が妥当ならば、ブランド品はいらないと考えている。

 車を僕は現在は持っていないけれど、買うとしたら中古車で購入金額を抑えて、かつ燃費の良い車を選ぶだろう。つまりコスパ重視である。僕は車に対して興味がないので、コスパに加えて、移動手段の用途を満たせれば何でも良いのである。

 また、サラリーマンをやっていると残業時間を競う人がいるけれど、そんな競争に勝つ必要性も皆無である。むしろ、そんなことで勝って喜んでいたら、自分は非効率に働いていると自ら吹聴している事になるだろう。

 時間は最も貴重な資源だ。時間を切り売りしている時点で、その人の人生は貧しい事になるだろう。仕事が趣味、生き甲斐ならば別だけれど。多くの人はそうではないだろう。

 勿論僕はプライドをすべて捨てて、負け続けろと言っているのではない。自分にとって本質的な利益にならない競争で、勝ちを狙いに行く必要はないと言っているのである。僕は楽に生きたいし、浮いたお金で他の人より早く引退したいと思う。


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