2018年06月

2018/06/28

目標がサラリーマンじゃないなら学歴はいらない

表記の通り、もし、あなたのキャリアのゴールがサラリーマンでないのならば、おそらく学歴は必要ない。と言うのも学歴と資本家、起業家の素養に相関関係はないからである。サラリーマンの仕事にはクリエイティビティは基本必要ない。必要なのは効率性である。

口では何と言っていても欲しているのはクリエイティビティではない、効率性である

 以前も書いたけれど、僕は、サラリーマンの仕事の肝とは効率性だと思っている。そして一般的に高い学歴を持っている方は、効率性がおそらく他の人より高い傾向にあるように見える。高校に行きながら、部活やアルバイトをしながら、偏差値の高い大学を受験し合格した方は、きっと効率的に受験勉強された事だろう。ましてや国公立に行かれていた人なんて尚更だ。

 企業もそれがわかっているから書類選考の段階で、学歴で足切りをするのである。学歴は効率的に物事を進められる一種の指針になるからである。新卒採用で、各企業は、一緒に成長しよう!だとか、うちの会社に新しい風を吹かせてほしい!だとか言っているけれど、現実は、無数にある細々したタスクを高速で、効率的に処理する人材を欲しているのである。勘違いしてはいけない。

資本家や起業家に求められている素養はサラリーマンのそれとは違う

 一方で資本家、起業家としての資質はどうか?僕自身はサラリーマンの身なので、ここからはあくまで推測だけれど、サラリーマンと明らかに求められる資質が違うような気がする。

 勿論、効率性は必要だろうけれど、事務処理の効率性など、サラリーマンに求められている資質はあまり重要視されないだろう。なぜなら細々した事務処理はそこで働く従業員にやらせれば良いからである。

 資本家や起業家に求められる素養とは、あくまで僕のイメージだけれど、クリエイティビティと決断力だろう。社会で求められているニーズを感じ取り、群衆が金を出してでも買いたいと思う商品やサービスを企画する。そして、その商品やサービスを開発するために思い切って自己資金を投下する決断力が、最も彼らに求められる素養なのだろう。

 上記の素養は明らかに学歴とは相関していないだろう。国語、数学、英語、理科、社会の所謂主要5教科を効率的に勉強して、テストで良い点を取れる人の効率性は間違いなく高いだろうけれど、斬新なアイディアが浮かぶとは限らないだろう。群衆のニーズを汲み取るのに長けているとは限らない。

 また、東大卒の方に官僚が多いことからも、学歴と決断力にも相関関係はないように見える。官僚に必要な能力は、利害の調整能力である。利害関係をうまく調整して予算を組み、執行する。たとえ失敗しても周りと連帯責任である。その時の責任者が失職することはあるけれど。

 僕は残念ながら高学歴ではない。自分でも自覚しているけれど、決して要領の良い人間でもない。だけれど、まだクリエイティブに物事を考えて、自分の商品を見つける事を諦めてはいない。だって学歴は関係ないと思っているから。


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2018/06/24

目標はサラリーマンをなるべく早く卒業すること

会社の飲み会に行くと毎度違った意味で奮い立たされる

 先日会社の飲み会に参加した。僕の中では9割は時間の無駄だ。金はかかるし、飲み会中の話題は仕事の愚痴、誰かの悪口、人事などの噂話に終始し、挙げ句の果てに説教されたりもする。金を出してなんでこんなくだらない事をしているのだろうと毎回思ってしまうのである。

 一方で1割はメリットがある。それは早くこんなくだらない世界を卒業したいと自分を奮い立たせることができることである。


オジサンはいつも好き勝手な事を言う

 僕は歳を取ってもあーはなりたくないと思う。飲み会中の目の前のオッサン達は、若い頃の苦労話を得意げに話し、お前達も頑張れと部下に言う。プライベートの話になると早く結婚しろ!と勝手な事をほざいている。そして酔いが回ると(会計の時間が近づくと)妻からの小遣いが少ないと愚痴り始める始末である。はっきり言ってすべてにおいて聞くだけ無駄である。

 そもそも今の時代、わからないことはほとんどGoogleで調べることができる。生きてきた期間の長さによる、知識量の差は過去のそれに比べたら限りなく減っているのではないだろうか?少なくとも僕にはそう思えてならない。歳を取るとそれがわからなくなるんだろうか?

 また、頑張れと言うけれど、仮にサラリーマンとして頑張ったとして、将来の自分の姿は今目の前にいるオッサンと同じような姿だろう?角がなくなり、自分では何も考えられなくなり、会社に管理されないと生きていけず、家に帰っても妻に財布を握られ管理されて生きるオッサン。そんなモノに僕は成り下がりたくないのである。僕は結婚しても妻に管理されるような生き方は御免である。

サラリーマン=現代の小間使い

 ところで、サラリーマンはどんなに出世してもずっと小間使いである。仕事ができる、できないはあっても、それは不変の事実である。もっとも仕事ができる、できないも「与えられた」仕事をいかに効率的に処理するかでサラリーマンは評価されるのであるが。

 また、サラリーマンは安定していると言われるけれど、本当だろうか?提供できるのは自分の労働力のみだ。その労働力も原則その会社のみで使える技能である。

 社会情勢や会社の方針が変われば、業務で身に着けた技能は無駄になる可能性がある。業務に必要ない技能は会社にとって当然不要なので、突然クビにされる可能性だって0ではないのである。

 法的にそんなことは無理?少子高齢化の日本で将来不要な社員を飼い続ける企業が果たしてどれくらいあるでしょうか?余裕のある大企業でもなかったら、無理でしょう?

 サラリーマンはどんなに出世しても小間使いである。小間使いをやり続けた後に待っている姿は、常に誰かに管理されなければ生きることができない情けないオジサンである。また、サラリーマンは必ずしも安定しているわけではない。

 それならば、サラリーマンをやる意味は?僕は、会社勤めは誰か、何かに依存しないで生きていく為の種銭を作る手段として捉えている。長くやり過ぎると、自分も情けないオジサンに成り下がってしまうので、なるべく早く卒業したいものである。



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2018/06/17

戦略的ダウンシフト

この世界においては、サラリーマンのままでは満たされない

 僕たちはサラリーマンのままでは満たされることはできない。たとえ高給取りと言われらようになってもである。なぜなら、たとえ高給取りになったとしても、更に上には上がいて自分が一番になる事は永遠にないからである。また、こちらの方が深刻だろうけれど、たとえ高給取りになってもその金を、時間を要する用途に使うのはサラリーマンのままでは難しいだろう。

サラリーマンとしての成功って散在する事?

 もしあなたが高給取りのサラリーマンになったならば、ブランド品で身を包むこともできるだろう。高級車を乗り回すことも可能だろう。でもそれらは本当に欲しいものなんだろうか?確かにブランド品や高級車で他者への承認欲求を満たすことはできるかもしれない。でも、もし誰かが自分より良いものを持っていたら?

 また、仕事でスーツを着る人が多いだろうけれど、スーツの値段は年収に比例してが高くなりがちである。安っぽいスーツだと格好がつかないとか言ってね。でも僕はたかが仕事着に何十万も価値があるなんて、到底思えないのである。

視点を変えて解決策を考える

 上記を踏まえて、どうせ満たされないなら、自分を満たすために他の方法を模索したらどうだろうか?その方が現実的ではなかろうか? という何ともぼやけた考えが浮かんでこないだろうか?

 僕自身は高給取りじゃないので、上記はもしかしたらただの負け犬の遠吠えに聞こえるかもしれない。また、お金を僕より沢山持っている人に対して妬みが全くないかと言われたら嘘になる。ただ僕としてはブランド品で身を包んでも、高級車を乗り回しても満たされないのを自分でわかっている。僕はモノより自由が欲しいのである。

 僕が今欲しいものは上司の顔色を伺うための仕事を一切やらなくても良い職場環境と好きな時に、好きなところへ旅行に行けるだけの金と時間である。ブランド品や高級車も、アホみたいに高いスーツも要らないのである。自己を誇示することで満たされる必要はない。少なくともどうでも良い相手には。

 僕は服に拘りはないので、すべてファストファッションやネットで購入したモノで満足できる。実際昨今は全身ファストフッションでもそれなりのコーディネートができる良い時代である。また、靴、財布、カバン、時計などの小物も2、3万くらい出せば質が良くてオシャレなものが手に入るので、僕はそれ以上出す気にはならないのである。

 僕はサラリーマンをやらなくても生活できるのならば、サラリーマンなんてやりたくないと思っている。幸いなことに年収は徐々に上がっている。ここで他人からの雑音に惑わされず、今のライフスタイルを貫き続ければ、セミリタイヤ後の資金を貯めることができる。早く本当の意味で満たされたいものである。



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2018/06/10

継続のプロセスを考察する

強い目標(≠高い目標)を立てれば続けられる

 僕はあまり意志が強くない人間である。何かをやろうと思っても大体のことは三日坊主である。小さい時からそうで、大人になってもそれは変らなかったようである。一方で明確な目標があると不思議と継続できているのを発見した。

継続こそ力なり

 上記は誰でも聞いたことがある有名な諺である。僕はこの諺は概ね正しいと思っている。正しいことを正しい方法で続けているのならば、ある程度の結果をだせる。ただしそんなことはわかっているけれど、難しいのである。

 例えば筋トレがそうである。どんな人でも正しい方法でやり続ければ引き締まった身体、逞しい身体を手に入れることが出来る。ただ、このやり続けるのがとても難しいのである。僕もポッコリお腹をなんとかしたくて、筋トレを気が向いたときにやるようにはしているけれど、継続してやっているとは言い難い状況である。ポッコリお腹をなんとかしたいと思っているのは本当だけれど、多分強くは考えていないのだろう。

 一方、僕の先輩の一人に女性にモテたい一心で筋トレを継続的に行い、マッチョな身体を手に入れた人がいる。現在30代半ばになっているけれども今でも結構モテている様である。動機はどうであれ、継続して筋トレをやっている事に対して、素直にすごいなと思う。やはり継続は力なりと言うのは正しい様である。

 勉強だってそうである。学校の勉強なんて、学部レベルくらいまでは完全に詰め込み教育である。詰め込みという事は既に決まっている事象や判明している事案を取り上げて学ぶという事である。言葉を変えると、新しい発見や新しいものを創造する行為ではないのである。であるならば、継続して行えば「学校」の勉強に関しては、誰でもできるようになるということである。

 しかしながら、それは難しいのである。なぜなら、多くの人はそこに目標が見いだせないからである。僕も学生時代、テスト前に短期集中で勉強したけれど、継続して勉強していない。今思うと非常に勿体無いことをしていた様に思う。だって林修氏が言っていたけれど、勉強って贅沢だって意味が今だったら理解できるからね。

 どうやら、上記の諺は、資産運用においても正しい様である。僕は積立NISAを使って低コストのインデックスファンドを毎月積立買付しているんだけれど、資産残高が幸運にも徐々に増えてきている。毎年の年間利益率は平凡なんだけれど、金額が大きくなってきたことに伴い、また昨今の株高の波もあり、毎年積みあがっていく含み益の金額は僕のサラリーマンとしての月給を軽く上回るようになってきた。とても嬉しい限りである。

 積立投資は、数ある投資方法の中で一番簡単な方法だと言われている。しかし、挫折する人も一定数いる。にもかかわらず継続できているのは、僕にはいつかセミリタイヤしたいという強い目標があるからである。因みに僕は貯金が大の苦手だ。理由は貯金しても殖えないのを知っているからモチベーションが湧かないからである。

 上記を踏まえると、人は強い目的意識を持つと、たとえそれが多少の苦痛を伴うとしても、継続できるようである。おそらく世の中の成功している人は、強い目標→継続→継続することによって結果が出る→モチベーションが上がる→目標をより強く意識する→・・・・という工程を繰り返して成功を収めているのだろう。書いていて納得した。

とは言え、サウザー氏及びアナキン氏からVoicyにて、ご指摘いただいた通り、自分でビジネスモデルを構築しないと、自分の商品を持たないと、サラリーマンを卒業するのは難しそうである。したがって、積立投資は単なる貯金の一手段だと割り切り、ビジネスモデル構築、商品開発に注力する方が優先順位は高いんだろうな。お二人には厳しくも、ありがたいお言葉をいただいた事にお礼申し上げます。



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2018/06/03

人間関係≠利害関係

人間関係≠利害関係を理解しよう

 学生の時に一緒にいる人との付き合いと社会に出てからのそれは何が違うか? 前者は人間関係、後者は利害関係という点が異なっていると僕は考えている。まぁ全部がこれに当てはまるわけではないと思うけれども。

利害関係は利害がなくなれば終わらせることができる関係

 僕は多くの場合、後者の方が楽だと個人的に考えている。利害関係はお互いの利害がなくなれば関係を続ける必要がないからである。 仕事関係で付き合う人と、利害関係ではなく、人間関係を築こうと頑張ってしまうと、上手くいっていれば良いけれどそうでない場合は、とても辛いものになるだろう。絶対やめた方が良いと僕は思う。

 例えば、会社の同僚が風邪で体調を崩したとして、お見舞いにわざわざ行くだろうか?ほとんどの人は行かないだろう。これはそんなことをしても何の利益にもならないからである。一方、自分の大切な人が風邪で体調を崩したらどうだろうか?多くの人はお見舞いに行くのではないだろうか?たとえそれが何の利益を生まなかったとしても。

 また、もし取引先が倒産したとしよう。取引先が倒産したとして、あなたはそれ以降もそこで働いていた人と付き合おうとするだろうか? 僕だったら多少の同情はしても、付き合おうとは微塵も思わないだろう。とは言っても、日本人にあるあるのハッキリとあなたとはもう関係ないとは言わず、スーッとフェイドアウトする行動をとるだろうけれども。

人間関係は利益度外視

 一方で人間関係となるとそう簡単な話ではない。なんたって利益度外視で付き合うのである。親、兄弟、恋人、配偶者や子ども、親友以外と利益度外視で付き合えるだろうか?答えは否だろう。勿論、上記の人以外にも分け隔てなく平等に付き合う事ができる聖人君主もいるのだろう。が、それは少数派だろう。

 僕は大切な人に対してならば、たとえ自分の得にならなかったとしても良いと思うことができる。多くの人もそうだろう。だけれど、それ以外の人に対しては、そんなことは微塵も思わない。お金であればたとえ1円でも無駄になるとわかっていて使いたくないし、時間であればたとえ1分、1秒でも無駄になるとわかっていて使いたくないのである。だって自分の利益にならないのだから。

 僕は仕事関係で付き合う人は一人の例外なく利害関係のみで付き合うようにしている。飲み会は必要なもの以外欠席するし、彼らとプライベートでの付き合いは皆無である。そもそも会社の外で仕事関係の人の顔なんて見たい人がいるのだろうか?

 全部の飲み会を欠席しないのは、それをやると仕事がやりづらくなるから、それだけの理由である。個人的には、飲み会に参加しないことに対して、一々目くじらを立てる人なんて二流以下の人だと思っている。だけれど、みんながみんな一流の人ではないのである。サラリーマンとして働いていれば、そういう人とも上手く付き合わなければならないのである。だから必要経費としてたまに参加するのである。

 結論を言うと、僕達はもし息苦しさを感じずに快適に生きたいならば、人間関係と利害関係の違いを理解し、使い分けをしながら生きる必要があるという事である。ある人と利害関係のみで付き合うと決めたならば、自分なりの線引きを決めて、上手く付き合えば良い。人間関係を築くと決めたならば、全力でその人と付き合えば良いのである。



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