2018/04/29

勉強しかできないよりも勉強すらできない方がヤバイ

 かなり前から勉強ができても社会に出たら使えない、という議論がされてきた。僕はそれを誰にでも思いつく、取るに足らない議論の一つである、と思っている。だってその論理が正しいと証明するのは至難だし、そもそもその論理を言っている人で頭が良い人を僕は見たことがないのである。別に僕自身は特別勉強ができるわけでも、頭が良いわけでもないけれど。

変化の時代であるからこそ勉強するべき

 僕たちが物事を判断する際、何を頼りに判断するするだろうか?人によっては閃きだろうか?動物的勘だろうか?多分どちらも間違いではないけれど、なんかしっくりこない。 まぁ閃きや動物的勘に優れている人を、才能がある人と言うんだろうけれど。

 さて、思うに論理的な判断をしたり、複雑な事案を将来のルーティンに落とし込むための判断をしたりする為には、基本原理、基本原則の理解と過去の経験則に頼るのではないだろうか?

 僕は基本原理、基本原則の理解は勉強により身につき、過去の経験則は実践によって身につくものだと考えている。そして、効率的に仕事をこなしたり、賢く生きたりする上で両方とも備えておく必要があると僕は考えている。だって前者だけだと、ただの頭でっかち、後者だけだと自分の価値観を他人に押し付ける鬱陶しい人だろう?

 ところで、上述の閃きや動物的勘も基本原理、基本原則の理解や過去の経験則から生まれるものではないだろうか。なぜなら、そもそも人は前提となる知識がないと物事を正しく判断できないからである。未成年が制限行為能力者として、行動に一定の制限がある一方、法的に守られているのは、前提となる知識が成年者に比べて少ないと考えられているからである。今の時代必ずしも当たっているかは定かではないが。

 いずれにしても勉強さえもできなければ、基本原理、基本原則の理解もままならないわけで、有能な人材と見られることはないだろうし、なり得ないだろう。

勉強ができる=仕事ができる、ではないが、勉強ができないとその職にすら就けない

 上記は事実である。例えば弁護士や医者は誰でも理解できるだろう。しかし所謂肉体労働の職種である警察官や消防士になる為にも筆記試験に受かる必要があるのである。(勿論勉強ができるだけでは採用されないだろうけれど。) 因みに、女性から結婚相手として人気の職業と言われる事務系公務員(どこが良いのか教えてほしいけれど)も勉強すらできない人はなることが出来ない。多くの役所で一次試験として筆記試験があるからである。つまり勉強すらできないと職業選択の自由が明らかに狭まってしまうのである。その職に就けなかったら仕事ができる云々すらあり得ないのである。

 上記の議論を踏まえると、勉強ができる人=社会的に有意義な人材の論理は成り立つとは言えないけれど、勉強すらできない人=社会的に有意義でない人材の論理はある程度の確率で成り立つように考えられる。

 よって、「勉強ができても社会では使えない」という冒頭の議論に対して回答は、「それは勉強すらできない人のただのヤッカミなので、言われても何も気にする必要はない。」になり得るのではないだろうか?



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